新しい家、古い家
- 2013/6/1
- 藤白台
- まちの記憶, 建替
- 4 comments
5月31日、2006年頃から続いてきた藤白台公社の建替が三期分まで完成し、三期分住民への鍵渡しが始まりました。現場の仮囲いもはずされ(5月31日の晩はまだ誰も住んでいないようでしたが)、エントランスや駐車場にもあかりがともりました。2年近くふさがれていた「ふれあいの道」も、藤白橋の下から小学校の正門前までは再び通れるようになりました(31日の晩、さっそく通ってきました)。
これで公社分の建設工事は終了し、最後まで残っていた小学校前のA15棟~A18棟に住んでいた住民がこの新1号棟に引っ越し、解体工事に入ります。あとは2016年まで、旧A5棟部分からA18棟部分の土地に民間マンションが北から順に建設されていきます。ざっと、10年がかり!あと3年かかるわけですが、これまで7年かかってきたことを思えば…。
こちらはひっそりとした旧棟の入口。どこにでもあったこんな階段室も姿を消していきます。どの棟にも、友達がいました。こうやって、ニュータウンがまた新しいニュータウンに変わっていきます。建物の入口をくらべるだけで、48年分の「時代」を感じますね。
古い家が新しい家になっても、藤白台がずっと続いていきますように!全部の棟に、知り合いできるかなあ。
コメント
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コメント (4)
藤白台からA棟が無くなるんですね。
あと数年でB棟も姿を消す予定のはず。
元々C棟は存在しないので、アルファベット表記の住棟が消滅かな?
D棟は残ってるんでしたっけ??
激動の中、数年間も離れると浦島太郎状態です。。。
そうですね、最後まで残っていたA15-A18棟も、全部電気が消えていましたから皆さん転出されたのだと思います。B棟は全部建替の計画が打ち出されていましたが橋下府政でストップがかかり、かなり遅れるとか、全部は建て替えないという噂も聞きます(古江台五丁目では当面建て替えないことを前提にした修繕が何棟かに入りましたし、青山台の府営も建替中止と聞きました)。いずれにしてもまだ数年は「B表示がなくなる」ことはなさそうです。藤白台でABDのうち最後まで残りそうなのはDで、実は社宅からマンションに最初に建て替えられた「千里藤白台リッツハウス」(1981年築)の2棟は、建物の妻面にD29、D30という表記がついています。それより古い住居地図ではD29は大和パッケージ、D30は京阪観光と第一病院の社宅だったのでリッツハウスは二代目のD29、D30なんです(これより新しい1986年築の「アルス藤白台」も、入口の小さなプレートにはD13の表記が残っているようです)。このあたりが藤白台で最後まで残りそうな「アルファベットのついた集合住宅」になるのではないでしょうか。古江台、佐竹台、高野台にあった2階建テラスハウスを1990年前後に建て替えた府営住宅までは、住棟のB記号は新棟にも引き継がれていました。ここ数年の千里ニュータウンの変わりっぷりは、住んでいてもあれよあれよというスピードです。
メゾネットで中1まで育ち、中2から1丁目の「藤白台アネックス」に移って、結婚するまで住んでいました。
実家も千里を出てしまったので、藤白台の様子が知りたくて、このブログへやってきました。
たしか、「藤白台アネックス」がD棟地区で初めて住所表記からDがなくなったと思います。アルスは「藤白台1-1 D13-○○○」ですが、アネックスは「藤白台1-1-12-○○○」でした。母に「Dはつかないのか」と聞いたら、「いらないんだって」と言われたのを思い出しました。
家族誰も住まなくなった藤白台ですが、やっぱり故郷なんですね。幼稚園、小学校時代のことをたくさん思い出しました。これからもぜひ続けてくださいね!
tacさん、訪問ありがとうございます。きょうの藤白台は快晴でした!公社の旧棟、最後まで残っていたA15-A18棟もカラッポになり解体のための白い塀に囲まれつつあります…。藤白台の中で越す人、けっこういるようですね。東急ドエル藤白台アネックスは1987年築なので、1986年と1987年の間で方針が変わったのかなあ。B棟は1990年代までテラスハウスの建替後も新棟にBをつけていたと思います。