父がいない連休
- 2009/5/6
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- 戸建, 自然, 高齢社会
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(ニュータウン訪問記の途中ですが…)
庭仕事に没頭していて、気がついたら6時だった。万博公園からとおく「蛍の光」が聞こえてきて、やけに早い閉園だなと思っていたのが5時だったのか。日が長くなった。春夏の庭仕事は、いくらやっても終わらない。去年まで五月の連休には沖縄へ行くことが通例だったが、今年はどこへも行かなかった。
父はいつも、時間さえあれば庭をいじっていた。あんなふうにはとてもできないな…と思っていたのは、ほんの数年前までのことだった。この家に引っ越してきた45年前、庭は一面の粘土の土地だった。土を入れ替え、いちおうの整備をしたあとも、今から見るとすごく庭はシンプルだった。木の種類も少なく、どの木も小さかった。それが歳月を重ねて種類は増え、どの木も複雑に成長し、主は年老いたのだ。
庭はおもに父の領域だったが、母も15年ほど前にイギリスへ旅行をしてから、突然庭のあちこちにいたずらのように花を植え始めた。イングリッシュガーデンのつもりだったのだろうか。その母が8年前に要介護になり、外出が難しくなった。庭は母の全世界になった。父は80を越えていた。いつのまにか僕が庭をやり始めたのは、石垣の上でよろよろと草引きをする父を見かねたからだが、手が回らなくなって庭が荒れていくのは淋しすぎた。4年前に母がなくなり、庭は見る人も減ったけれど、ますます僕は庭仕事に熱が入るようになった。
去年の秋の終わり、父がなくなった。わずかに父が最後までこなしていた仕事も、もう父はしない。自分で言うのもおかしな話だが、まるで父が乗り移ったように、僕は庭仕事を続けた。だれのために庭に花を植えるのか。両親が植えた花木を枯らしたくないだけなのか。この庭をどこまで維持できるのか。先週は冬の間玄関に入れていた鉢を表に出して、さっぱりした玄関に、父が行ってからまだ半年たっていないことを、あらためて感じた。去年の夏には、まだ父がいた。
父がしまいこんだ五月人形の箱をのぞいたら、規定量の三倍もの防虫剤に埋もれて人形が出てきた。几帳面に一個ずつ「H20.5」と書いてある。1年前、たしかに父は元気でクルマも運転していたけれど、判断力はどこまでたしかだったのだろうか。
今月、僕は50歳になる。
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コメント (6)
万博公園から聞こえるお庭を
ずっと 守り続けてください
三田で庭に関心を少し持った 「てつ」
団地育ちの 僕には 庭は 夢のまた夢
でも 団地で 大好きな祖父は 人の土地にも
かかわらず 立派な庭を こさえてた・・・・
庭は不思議な場所だと思います。クリエイティブな場であり、やすらぎや思い出の空間でもあり、自己満足のためでもあり、通りがかりの人に見てもらう要素もあり…「庭」をテーマにするだけで、ブログが十分成立します。でも庭の手入れって、(べつにカンペキにしなくても)すご~く大変。千里ニュータウンのご近所でも、庭の手入れが出来ないという理由でマンションに引っ越す高齢世帯の話を耳にします。49の僕でもへとへとになりますからね…。しかし庭をやるようになってから、たしかに季節の変化には敏感になりました。木や花の名前も覚えました。このブログ始めたからってのもあるけれど…。前にもここで書きましたが、北海道の恵み野のように、「庭」(ガーデニング)をまちづくりのキーにしている町もあります。ニュータウンの原型はイギリスの「田園都市」ですが、その原語は「Garden City」ですからね。
私も団地育ちでしたが、眼前に藤白公園がひろがっていたので自分の庭代わりに感じていました。しかし両親は一戸建ての夢をもっていたんでしょうね。父は生き物好きだった様で金魚の世話をまめにしてました。母は犬が飼える位の庭が欲しかった様で、晩年庭付きの貸家に住めて満足そうでした。
そして今、両親の夢を叶えてやれることなく、妻と老柴犬の二人一匹で持ち家に住んでます。庭みたいなスペースはあるのですが、夫婦そろって不精なので見るかげもありません{%がっかりwebry%}母がいたらさぞかし喜んで庭弄りや犬の世話をしているんだろうなァ、と明後日の「母の日」を前に思い出しました。
千里育ちだけが特権的に使えるギャグに「万博公園はうちの庭で…草むしりが大変で…岡本君にはいいあずまや造ってもらったんだけど…」というのがあります。上沼恵美子さんじゃないですが。こういうときの「庭」は「自分の領域」って意味ですが、庭とかペットとか、人は自分を投影しているんでしょうね。…ということは、庭をいじることと、文章を書くことは似ているのかもしれません。最近はプチ農業ブームなのか世間が世知辛いのか、野菜の苗を育てるのが大流行りみたいで、ホームセンターの売場で戦時中みたいだなと思ってしまいました。
暖かくなってきて雑草の始末だけで大変なこのごろ、ご無沙汰しています。
庭にしても畑にしても、やはり「土」がいいのではないでしょうか、うまくいこうがいくまいが、やすらぐというか、素になるというか。今、紹介されている筑波に研修に行った時にも同じようなことを思いました。
毎日少しずつの手入れが大切、ということはわかっていてもなかなかできないもので、プチトマトなんかやろうものならわんさか実がついて後の手入れが大変です。
今年、妻はシソ、子どもはヒマワリ、私は相変わらずのゴーヤの種をまきました。
農業なんかやったことなくても、やっぱり農耕民族なんでしょうか?プチトマトはそんなになるのですか。先日うちでもゴーヤーの種は植えました。緑のカーテンに…と毎年思うのですが、なかなかそうはいきません。苗で買ったほうがラクそうだなとは思っても、一度タネから育てるのをやってみると、そっちのほうが楽しく思えてくるんですよね。こうして庭が「仕事化」していくわけですが…