7月のはじめにまた沖縄へ行ってきましたので、数日間ややゴーインに「沖縄」と、わが「ニュータウン」というテーマを結びつけてみます。
「第二のふるさと」という言葉があります。
生まれ育った場所=与えられた場所が「ふるさと」ならば、「第二のふるさと」は、大人になってから何かのきっかけで自分から選び取った場所と言えるでしょうか。昔ならば一生「ふるさと」を離れない人も多かったでしょうが、今は人の移動も増えていますから、「第二のふるさと」を持っている人も多いでしょうね。
千里ニュータウンに移り住んできた第一世代にとっては、千里が「第二のふるさと」。そういう文脈でよく使われます。でもその子供=第二世代にとっては、千里が「ふるさと」。今では家族の中でも「ふるさと」は世代ごとに移動していきます。
沖縄…とくに石垣島に移住するリタイア層が増えていることはこの5月にも書きましたが、僕が今回訪問したケラマ諸島でも、ブームと言うほどではないですが、内地から来た人は少なくはありません。つまりその人たちには沖縄が「第二のふるさと」になっていくわけです。
移住しなくても、沖縄に魅せられて何度も訪問する旅行者にも、「沖縄が第二のふるさとです」という人がいます。
でも「ふるさと」と言うからには、そこはかけがえのない場所でなくてはならず…それでこそ言葉も生きてくるというものです。千里でも、沖縄でも、そこで生まれたわけではないけれど、しっかりと根を下ろして、きちんと地域の責任を取り、時間を刻んできた多くの人たちと僕は会いました。
そういう人が大勢いる場所って、なんだかホッとするんですよね。「第一」じゃなくても、「第二のふるさと」を探して人生の途中から来た人たちを受け入れる度量のようなものがその土地にあると感じるからでしょうか?
町はそこで生まれ育った人だけじゃなくて、途中から来た人と2種類の人たちでできてるんですよね。
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