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遠くの町の仲間たち…関西文化学術研究都市
- 2010/1/7
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- まちの記憶
- 2 comments
昨年私が訪問した「ニュータウン」のかけあしレポートに戻ります。
ええ?これ…奈良の平城宮跡では?と気がついた方、正解です!今年は平城遷都1300年祭もありますね~(「せんとくん」はそのキャラクター)。この写真は昨年10月に訪問した時のものですが、現地では1300年祭にあわせて大極殿の復原が進められていました。
しかし平城宮跡が「ニュータウン」とは?…そりゃあ平城京は「計画都市」で大昔のニュータウンかもしれないけれど、いくらなんでも拡大解釈しすぎじゃないの?と言われそうですが…
実は3600ha、12もの地区に広がる広大な関西文化学術研究都市(学研都市)。大極殿や朱雀門を含む平城宮跡142haは、この学研都市の12の地区の1つとして「指定」されているのです。
この一角は国によって遺跡の整備と建物の復原が徐々に進められているので、たしかに計画的に管理されているわけですが、こうなると「ニュータウン」ってなんだろう?と考えさせられますね。平城宮は世界文化遺産にも登録されているので、「世界遺産になったニュータウン」とも言えるわけです。
学研都市のほかの地区は、住宅主体のいかにも郊外のニュータウン…という部分もあれば、つくばのように研究所が集まっている部分もあり、なにしろ3600ha、12地区に散らばっているので「ひとつの町」と言うよりは「エリア」と言ったほうがイメージが掴める実態です。
そこに平城宮跡も入れてしまったのは、関西の都人ならではのニュータウンの解釈であるのかもしれません。
コメント
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コメント (2)
1300年まえに作られた奈良は、確かに当時のニュータウンでした。飛鳥、奈良地方を観光してみれば、はっきりわかります。
だとするとですよ。やはりあるときに急激な高齢化に見舞われた…といったような史実は残っていませんか?それで70年しかもたず京都でやり直した…とか。こりゃ珍説かな。