団地移転の風景-7.もうひとつの集会所

A9棟とA10棟の間の集会所。こちらのほうが最初からある、公社が団地と一緒に建設した集会所ですが、ふれあいの道の途中にある住民が増設した集会所とどのように使い分けていたのかは、わかりません。
UR(公団)の団地では集会所の建物にも住棟と同じような通し番号(「C○○」みたいな)が振られるようですが、公社の団地では集会所はたんに「集会所」です。
あらためてこうやって見てみると、天井から床までガラスをいっぱいにとった開放的な側面、管理室に規則正しくあけた小窓、タイル張りの妻面、地面から数段上がったデッキなど、1960年代のモダンデザインの香りが馥郁とただよってきます。タイル張りは吹き付け塗装よりは「高級」とされている表現で、公社の5階建賃貸棟ではタイル張りの壁はないですから、皆で使う集会所は住棟よりちょっと高級なしつらえにしていたことになりますね。「皆で使うものほど、いいものを」というのは、まさに団地の精神です。
しかし天井から床までガラスという造りは、夏は暑く、冬は寒かったでしょう。モダンライフにはやせ我慢も必要なのです。この中にいると全身が見えてしまいますから、テキトーな手抜き服で来ると皆にバレてしまいます。
この集会所の手前には、もともと遊具が置いてあって小さな遊園のようになっていました。駐車場が足りなくなって駐車場に転用され、遊具は下の「ふれあいの道」の横に持って行ってしまいましたが…。大人が集会をしている間、子供は遊園で遊んでいる。ガラス張りの側面は、お母さんが子供を、子供はお母さんの姿を見ていられるように、そうしたのではないでしょうか。この位置関係は、いまは新棟が建っている坂の下の集会所でもそうなっていました。
46年間の歴史、かめばかむほど味が出てきます。

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コメント

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  • コメント (8)

    • tcp1pp
    • 2011年 12月 04日

    旧A22棟とA21棟の間にもありました。
    習字をやっていましたが、夏はエアコンがなく
    本当に暑くて、汗で半紙がにじんでました(笑)

    • 奥居武
    • 2011年 12月 05日

    同じタイプのやつですよね。そういう習い事の教室にも使われてたのですね。今では塾のスクールバスが来て遠くまで行っているようですが…。大人の買物と一緒で、子供の日常行動も広域化するようになってしまいました。エアコンはどこかの段階でつけたんでしょうねえ…?

    • Ryo
    • 2011年 12月 09日

    集会所かあ・・・なつかしいですね。
    でもお葬式の思い出がとっても多いです。
    あと、子供会の催しとか。
    中学の時に阪大の学生が塾をやってて、通った記憶もたった今よみがえりました(笑)
    大学生がやってたのか、子供の親が集会所を借りてそこに大学生を呼んだのかはわかりませんが。
    あとこれも中学の時、私がクラスのために集会所を借りて、文化祭の劇の練習をしたりしましたね。

    • 奥居武
    • 2011年 12月 09日

    「お葬式ができる」というのは、お寺がないニュータウンではとても重要な使い道でした。昔は高齢者が少なかったとはいえ、今のような葬儀会館もほとんどありませんでしたからね。ところがお葬式は突然発生し、延期もできないので、ほかの予定と重なるとやりくりに苦労したようです。藤白台の公社で別に集会所を増設したのは、そういう事情もあったかもわかりません。建て替えた団地では、子供会も復活するのかなあ。

    • casval
    • 2012年 2月 01日

    うちの母親が絵画教室を開いていましたよ。入口右手には和室があって、日曜日には碁会所になっていました。

    • 奥居武
    • 2012年 2月 02日

    実は絵画教室の写真が手元にあるのですが、お借りした写真なのでそのまま出せません。和室もあったのですね。そういえば会社の昼休みに碁を打っているおじさんも、(僕が社会人になった頃はいましたが)もう20年ぐらい見てないような気がします。

    • カッタン
    • 2023年 10月 13日

    今更、カキコするのもなんだなと思いつつ、ちょっと、思い出したことがあったんで、ちょっとだけ。
    私の記憶だと集会所は、ここの他にもう一つあったような記憶が。ここは、北千里から坂を登り切ったところだけれども、もう一つは、もっと下の方にあった。というのは、小学生の頃、そこで習い事を二つやらされていた。主体性のないお話でお恥ずかしいが、一つは公文式の算数塾、もう一つはお習字。算数塾は同じことの反復を延々やらされるばかりでとてもつまらなかった。親に頼みこんで中途でやめさせてもらったことを覚えてる。習字の方は、ご夫婦が指導してて、下手な私の字でも元気があっていいと褒めてくれた。だから、とても楽しかった。後で聞いた話だが、その男の方の先生が、あの村上三島だった。村上三島と言えば、文化勲章をとった日本の大書家だ。そんな人に教えてもらってたとは、今考えると気恥ずかしい。
    吹田の生んだ巨星ですねえ。

      • 奥居武
      • 2023年 10月 14日

      公社の団地の中に、集会所は3ヵ所ありましたね。そんなすごい先生が教えてはったんですか。

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