「まこまない」…という地名を聞けば、札幌オリンピックを思い出す方も多いのではないでしょうか。1972年2月の冬季五輪。その選手村があったのが、この真駒内団地です。当時の選手村はその後一般の団地に転用され、住棟番号部分には輝かしい札幌五輪のマークが今も輝いています。その名も「五輪団地」。今年は札幌五輪からちょうど40年になります。
千里で育った僕が真駒内というところに行ってみたい…と思っていたのは、「1970年の大阪万博=万博外人村があった千里ニュータウン」と、「1972年の札幌五輪=選手村があった真駒内団地」に、相似形の関係を感じていたからです。華やかな国際イベントの記憶をたたんだ町は、今どのようになっているのだろう?イベントに合わせて地下鉄が整備され、その終点の周囲に広がる…というところも、千里と真駒内はなんだか似ています。
しかし真駒内団地全体の計画は、札幌五輪よりかなり早く、1960年代初頭から入居が進められていたようです。つまり、千里とほぼ同級生…。こちらを見ると、その計画はまさに「ニュータウン」と言ってよく、東大の高山研究室という同じブレーンが知恵を提供していた…まさに千里とは「北の兄弟」と言える関係ですね。先に進んでいたニュータウン計画に、あとから大型イベントが乗っかったというところも、似ているなあ…。都市計画のテコに、イベントを使ったのですね。
そして札幌五輪と言えば、やっぱり僕は「虹と雪のバラード」です。「町ができる 美しい町が」「ぼくらは書く いのちのかぎり いま太陽の真下に 生まれかわるサッポロの地に」…若くて力強いこの歌は、僕にはどうしてもニュータウンの歌に聞こえてしまいます。真駒内=札幌五輪=トワ・エ・モワは、僕の中では不朽の3点セットなのです。
…と検索していたら、トワ・エ・モワが真駒内にやってきていました!僕が行った数日後に…。少子化のため統合される小学校の校庭で「虹と雪のバラード」を歌ったそうです!聴きたかったなあ!…真駒内では北広島団地と同じく、区域内の4つの小学校が、この春から2校ずつ統合され、この3月には閉校式を順次行っているようです。北千里小学校のことを思い出してしまいました。
子供たちは札幌五輪のことは知らない…(というか、親でさえ記憶にないかも…?)というぐらい40年は「昔」ですが、すばらしい町のテーマソングがあることをおおいにうらやみつつ、今度は秋に来るのもいいかなあ…と、北の空を見上げて思ったのでした。
1972年といえば、千里の藤白台では子供がクズのジャンプ台で遊んでた頃だ!
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