ひさしぶりに東京都心をずいぶん歩きましたが、感じたのは「都心が暮らしよくなっていること」。長く工事中だった幹線道路の拡幅は完成して美しい街路になっているし、クルマの交通量は減って歩行者への解放も進んでいるし、地下鉄でどこでも行けるし、空気や水はきれいになっているし、バブル期に滅んだ生活店舗が復活していたりサバイブしていたり。バブルの崩壊と建物高さの制限がはずれたおかげで?若い家族も戻ってきているようです。人口が多ければ公園も整備されているし、文化的刺激が多いのはもとより。
大阪も御堂筋を将来全部歩行者空間にすると言ってますが、東京もあれこれやっている。
さて!ここで「ニュータウン派」の私としては、「これに対抗できる郊外の生活価値って、何?」と考えるわけです。日本全体の人口が減っていくのはこれから間違いのないシナリオ。それでも都心ではなく郊外に住む意味は?
都心居住が進む前提は「高層化」「高密度化」で、震災が起きてエレベーターが止まったら高層難民になるとか言いながら、じゃあ片道2時間の通勤とどちらが「まともな生活」なのか?と考えたら、一概にあかんとは言えない…。
それより本質的なことは、都心では「集合住宅の単位がより大きくなる」ことでしょう。ぴかぴかなうちはいいけれど、古くなったら「他人は他人」では済まないことはニュータウンの歴史が教えています。ニュータウンも昔は「地縁血縁に縛られず、鍵一つで外出できるドライな町」というイメージだったのが半世紀たったら「絆」とか言ってるわけです。並行して進んでいる「小世帯化」は「つながること」への柔軟性、バッファーを減らしている。(それはニュータウンでも同じだな…)
同じ建物を共有することは否応なく運命共同体になるということで、そこにコミュニティ意識がないと、にっちもさっちもいかなくなる。自分の資産なのにどうにもならなくなった分譲マンションや団地の例はいくらでもあって、その「どんづまり」は自然の経年劣化だけでなく震災などで突然やってくることもあります。(っていうのもニュータウンにも言えることだな…)
う~ん、郊外ならではのメリットの話にならないな…。要は好き好きですかね?都心でも郊外でも「住みたい町」にしていくこと、これに尽きるのでは!(強引なまとめ)
この投稿は2018年4月25日にfacebookに投稿した文章に加筆したものです。
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