「ブックカバー・チャレンジ」のニュータウン版、本日は『日本のニュータウン開発』(1984年 都市文化社、住田昌二編著)です。サブタイトルに『千里ニュータウンの地域計画学的研究』とあるように、中身はほぼ千里の総括がメイン。1984年という発刊のタイミングがポイントで、この本は千里開発の反省に切り込みつつ、「ルーチン化」して全国に広がりつつあった後続ニュータウンの計画に警鐘を鳴らす、両にらみの狙いが込められています。
千里ニュータウンは「まちびらき」から22年。開発の興奮は過ぎ去り、まだ「オールドタウン」とも言われていず、日本経済は泣きたくなるほど好調で、まだバブルの狂躁にも至っていない、「安定巡航」の時期でした。そして日本中では「量の時代は過ぎた。これからは質の時代だ、個性化だ」と言われつつ、ニュータウンの建設がまだ活発に続いていました。昭和最後の栄光期だったと言ってもいいでしょう。
そこに(千里ニュータウン開発に関わった当事者たちの自省もこめて)、思いきり「あれでよかったのか?」と検証を加えた一冊です。
当事者たちも交えての検証だけに、その指摘は36年後の今読んでもリアルで鋭いです。その反省は、計画だけでなく、その後の運営・財政にも及んでいます。大阪府と地元2市との関係は、どうあるべきだったのか?「千里市」を独立させるべきだったのか?ニュータウンを既存地元市に「とけこませる」ことなど、可能だったのか?永続的な担い手となる住民の声に、バトンはちゃんと渡せているのか?いったい誰が、この巨大なコミュニティを運営していくのか?
千里はすっかり成功事例として認識され、ブランド化され、後続の計画者の間には「千里信仰」すら生みましたが、当事者にとっては十分な検証もなされないまま「千里方式」としてつぎつぎにニュータウンが広がっていったことには「あせり」も感じたのだと思います。同じ計画者で、同じやり方を踏襲した泉北さえ、千里と同じようにいっていないことは、この本の中でもすでに指摘されています。本当にこれでいいのか?
興味深いことは、この約20年後に活発化する「再生論議」の中で出てくる視点が、この時点で一通り出ていることです。
旧著なので入手手段はネットなどに限られますが、千里近辺の図書館、千里ニュータウン情報館などでは揃えているところが多いでしょう。
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