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- 「第二の千里」になれなかったお台場(東京)
用事で数日間、東京・お台場にいました。ここは臨海副都心と言われる埋立地で、いわゆる「ニュータウン」とは趣を異にしたオフィス主体の街ですが、「計画的に」「大規模に」計画された都市の一画である…という点で、千里ニュータウンとはいくつかの共通点があります。
「臨海副都心」の開発が本格化したのは1990年代ですが、この街と1960年代開発の千里の間に、1980年代初頭にまちびらきをした神戸のポートアイランドを置いてみると三者の関係がよくわかります。神戸のポートアイランドは当時「山、海へ行く。」という合言葉のもと、その大胆な都市開発の手法は注目もされ、まちびらきのお披露目に行った「ポートピア’81」は、地方博としてはいまだに入場者数の記録を持っています。
新しい町と博覧会のセット…それはまさに千里ニュータウンとEXPO’70の関係が、そうです。両者は別々に決定されたプランでしたが、EXPO’70を見に来た人は、隣の千里ニュータウンというものを見て、「未来都市」の印象をひときわ強めて帰ったのです。新しい街のお披露目に博覧会をやれば、大勢の人が来てインフラ整備のコストも早期に回収できる…。ポートピアの発想は、直近では千里から多くの影響を受けたはずですが、このパターンを繰り返そうとしたのが、臨海副都心と1996年に予定されていた「都市博」でした。この計画を進めた鈴木都知事は、EXPO’70の事務総長でした。ですからお台場を「第二の千里」と考えるのは、あながち飛躍した連想ではありません。
ところが「都市博」は1995年、青島都知事の当選によって中止されてしまいます。バブル経済を時代背景にした臨海副都心+「都市博」計画は、高度成長期を背景にした千里ニュータウン計画+EXPO’70と相似形でありながら、バブル期の突然の終焉によって、全く違う展開を見せることになったのでした。
コメント
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コメント (1)
お台場(臨海副都心)の重要なニュータウン的要素を書き忘れました。「行政区が複数にまたがっていること」。「台場」という町名は港区に属しますが、臨海副都心全体では江東区、品川区にもまたがっています。このように大規模な新都市開発は既存行政区の真ん中には立地しにくく、また膨大な税収と負担が生じるために、必然的に行政区がまたがるケースが多いです。千里ニュータウンは吹田市と豊中市、多摩ニュータウンは多摩市、稲城市、八王子市、町田市、彩都は茨木市と箕面市…そういえば関空もそうだなあ。かつて千里ニュータウンでは「千里市」として独立したら?という話がありましたが、臨海副都心も「湾岸区」を独立させたら?という話がやはりあったかと思います。まあどちらも実現せず、「踊る大捜査線」よろしく「湾岸署」が成立しただけになっているようですね。