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カテゴリー:災害体験
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海と暮らすニュータウン(千葉・新浦安)
ニュータウンになった土地はニュータウンになる前何だったか?を見てみると「丘陵地、埋立地、軍用地」の3つが上がってきます。つまり「まとまった」「転用しやすい」土地を探そうとすると1960-90年代のニュータウン大量建設期に… -
東京節電ライフ
先週の金曜日(4月1日)、震災後はじめて東京に出張で行ったのですが、その時に地下鉄の駅で見かけたのがこんな風景。エスカレーターは止まり、照明も落とされて、薄暗い中をもくもくと階段を上る人々の群れ… テレビでは首都圏の様子… -
避難所のかたち
震災避難のテーマつながりで。3月末で営業を終えた旧グランドプリンスホテル赤坂の建物が、6月末まで、福島県からの避難の人たちの仮住まいに使われる…というニュースは読んだ方も多いでしょう。 グランドプリンスホテル赤坂。旧称・… -
逃れてきた山古志村役場(跡)
きのうきょう撮ったみたいな桜の咲き方ですが、この写真は昨年(2010年)のゴールデンウィークに撮ったものです。ここは新潟県の長岡ニュータウンなので桜はその季節に咲くのです。 さて日本中のニュータウンに行ってみて、その姿は… -
震災とニュータウン
前回に引き続き、新潟県の長岡ニュータウンにある国営越後丘陵公園から住宅地をのぞんで。このニュータウンは2004年の新潟県中越地震でアクセス路が絶たれた山古志村の人たちが3年近く避難していたのですが、その仮設住宅があったの… -
震災復興感謝の碑(長岡・国営越後丘陵公園)
東北や首都圏では、まだまだ大変な日々が続くことと思います。気持ちとしては事態が早く収拾に向かうことを願うばかりですが、放射能や電力不足の波紋はどこまで広がるのでしょうか。 (「阪神」を経験してるだけに)ダウンしそうになる… -
「私はここに居ます。」
震災後、仕事の非常時対応にも追われ、またつぎつぎと現れるただならぬ状況に言葉が見つからず、しばらく更新が止まってしまいました。 このブログにコメントをくださる藤白台出身の方がいわきの海のほうに住んでいて、どうなさっている… -
読者の皆さんのご無事を祈っています。
今回の大地震はあまりにも状況が大きく、読者の皆さんのご無事をただ祈っています。 一般的にニュータウンは道路も広く、建物も普通の町よりは新しいため地震には強いと言えると思いますが、このブログをお読みいただいている方には被災… -
震災の日にまちを思う
震災16年目の1月17日は、ちょうど西神ニュータウンでニュータウンの会合があったため、少し早く出て三宮・東遊園地の追悼記念の場所に立ち寄ってきました。 1.17の形にろうそくがともされ、毎年報道されるこの場所ですが、僕は… -
人はなぜ町を造ろうとするのか?
きょう2010年1月17日は、阪神大震災から15年めの日…歳月は速いですね。15年前、芦屋で震度7を経験した僕にとって、やっぱりなかなか普通の日のようには過ごせません。 僕は千里ニュータウンを造りはじめの頃からずっと見て…
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