
千里阪急ホテルの閉館と並行して、1972年以来大勢の人たちに親しまれてきたセルシーの解体が始まっています。同施設は(今風に言うと)総合エンターテーメント・コンプレックスとして1972年に開館。「娯楽施設はどうなっていますか?」と昭和天皇にも1966年視察の際に心配されたという巨大な人工都市・千里ニュータウンに出現した「にぎわいの核」として、長年機能してきました。地上階の「セルシー広場」は、まさに「毎日がお祭り」のように人を集めてきましたが、独特な構造で上層階へのアクセスが弱く、老朽化に2018年の大阪北部地震のパンチが加わり、以来テナントの退去が進んで閉鎖され、廃墟をさらしたようになっていました。
2020年からのコロナ禍、ウクライナや中東の国際情勢の悪化による資材高騰、人手不足など、まさに「千里だけではどうしようもない」状況が続出。千里ニュータウンの中心というだけでなく、北摂(北大阪)の交通結節点にあり、千里中央に2つある駅…北大阪急行と大阪モノレールの間をつなぐ通路沿いにあり、こんなに最強の立地はないというのに、実にもったいない状態で歳月が流れました。
しかしようやく千里中央の再開発構想がまとまり、解体が始まったわけです。解体後にはショッピング機能がここに再配置されることになっています。
千里中央では元ピーコックのオトカリテも解体され、千里阪急ホテルも閉館になり、表面上は寂しいニュースが続いています。一方で、2005年頃から始まった「再生策」(集合住宅の大規模建替をキーとする)により、人口は再増加し、子どもの数も増えています。そして何より「国土軸に乗った交通結節点にある」という立地は、永久に変わりません。(いつになるかわかりませんが)リニア中央新幹線と北陸新幹線の終着も新大阪駅になることが決定しています。
千里は完全に「オールドタウン化」を超えて、次の段階に踏み出しています。
集合住宅の大規模建替も、当初は揉めにもめて裁判になった例も後を絶たず…という状況でしたが、徐々に新しい住宅が完成し、新しい人たちが入居してくると「こうなるんだ」ということが以前からの住民にもわかるようになって、雰囲気が明るくなってきました。もう20年間「どこかが工事中」という状態が続いて、慣れたということもあるかもわかりません。人口減少社会というキーワードが広く知られるようになり、その中で千里は(首都圏でもないのに)十分がんばっている、工事現場は「次への可能性」なのだと、住民の達観・理解も進んできたように思います。
もちろんこの先「何が起きるかわからない」のであり、住民が、ただ受け身な「お客さん」として見たり要求したりしているだけでは「まちの未来」は開けません。ハードの「再開発」も、ソフトの「まちづくり」も、長い年月がかかります。町は生きている限り変わっていくものです。この変化を楽しみながら、一番その町を知っている住民が「前向きな意志・アイデア」を乗せていく。それがニュータウンの明るさなんだろうと思います。
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ランドスケープの観点から「万博レガシー」を考える特集号。超豪華メンバーにまぜていただき、千里万博の近隣住民として60年にわたり変化を見てきた私の講演録も出ています。

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