路線バスはニュータウンの毛細血管ということで、バスネタもう一発いきましょう。
いまではあたりまえになったワンマンバスですが、千里ニュータウンが出来た頃のバスには、まだ車掌さんが乗っていました。定位置は中央の扉のうしろで、独得の節回しで「つぎは~藤白台一丁目~藤白台一丁目~お降りの方はご支度ください~」とアナウンスをし、ドアの開閉をやり、お客さんが乗ってきたら運賃を収受する。(記憶があやふやなのですがたしか先払いだったかと…?)道が狭い場所やバックする時にはクルマから降りて「バックオーライオーライ…」と安全確認をやる。それが車掌さんの役目。
1965年の春に、それまで古江台しか回っていなかったバスが藤白台の中まで入るようになり、このときからニュータウンのバスは最先端の「ワンマンバス」に変わりました。乗客案内は独自のカセットテープになり、これを運転手が操作する。扉の開閉や運賃の収受も運転手がやる。そのために扉が前にもつき、乗客は必ず運転手の横を通るようになりました。前から乗って、先に運賃を払って、うしろから降りる。降りる前にはボタンを押して運転手に知らせる。
…という「新しい乗り方」ができて、バスの中にボタンがつくようになったのです(運転手さんはずいぶん忙しくなりました)。最初のボタンは無骨なブザーで、ランプがついていなかったため、同じバス停で降りる人が複数いた場合も確認ができず、皆がブーブー押していたのでやかましかった。そこで改良されて一人目が押すと「つぎとまります」のランプがつき、二人目以降はボタンを押しても鳴らないようになり、「ブー!」という音も「ピンポーン」というスマートな音になり、やがて確認ランプが運転手席につくようになり、放送はテープからIC式になってボタンを押すと「つぎとまります」と返事するようになり…ワンマンバスもずいぶん進化しました。ボタンも大きくなって、ずいぶんカラフル。
ちなみに当初のワンマンバスは「前乗り後ろ降り(先払い)」でしたが、このやり方だと区間別運賃の路線で最低区間の運賃だけ払って二区以上乗るキセルをされやすい…ということで、「後ろ乗り前降り(あと払い)」にひっくりかえして乗る時に整理券を出す…という方式をたしか大阪市交通局の人が考え出して全国に普及し、千里ニュータウン内の路線は均一運賃ですが1970年代なかばに「後ろ乗り前降り(あと払い)」に変わりました。乗ってる間に運賃を用意してもらったほうが乗り降りが速くなるっていう理由もあったかと思います。(なんでこんなことに詳しいんだ僕は?)
最近はバリアフリーの観点からノンステップまたはワンステップの車両が導入され、前半分を低床にするため、うしろの扉は車体中央につくようになって中央扉が復活しています。
高齢者の利用が多い千里ニュータウン線(とくにラッシュ時以外)では他の路線より多く低床車が導入されているようです。千里中央でニュータウン外から来るバスと見比べているとわかります。
ユーミンが昔ラジオで「遠い外国が違うのはあたりまえ。バスに乗っていくぐらいの隣町に本当の異国がある」みたいなことを言っていたのですが、バスに乗っていった終点につくと、もっと知らない町へ行くバス路線が出ていて、そんなバスの路線図を集めるのに凝ったことがありました。
コメント
トラックバックは利用できません。
コメント (0)
この記事へのコメントはありません。