千里ニュータウンはベルリンか?(壁崩壊20年)

ベルリンの壁が崩壊してちょうど20年とのことで、特別記事。写真は2003年にベルリンを訪問した時の「ホンモノの壁」の跡です。
中央の人が踏んでいる線が壁の痕跡。正面に残された壁の切断面が見えています。歴史的な存在なのにご近所のブロック塀と変わらないほど薄く見えますが、この壁が2枚重ねになって間に無人地帯があり、そのゾーン全体が西ベルリンと東ベルリンを隔てていました。
…という話を千里ニュータウンと結びつけて考えたのは、一つの都市が2つの政治区域に分けられてだんだん個性が離れていく…という物語は、千里ニュータウンの吹田市豊中市問題と似ているような気がしたからです。
ベリルンの壁があったのは1961年から1989年まで。東西ドイツが分かれていたのは1945年から1990年までの45年間。その長さも千里ニュータウンの歴史を思わせます。僕がドイツに行った2003年時点で東西ドイツは統一から13年を経ていたわけですが、45年間違う政治体制下にあると、格差がなくなるのは45年以上かかるのだろうと思わせる光景が、数多くありました。ベルリンは2003年当時まだ中央駅がなく、空港も東西分割時代の小さなものしかありませんでした。旧西独側最大の都市ハンブルグとベルリンを結ぶ鉄道は、日本で言えば東海道線といえるような主要幹線だろうと思うのですが、単線の部分があって驚きました。
政治は、こわいです。人間の意識や暮らし方を、じわじわと変えてしまう。…千里ニュータウンの吹田市域と豊中市域の境界にはもちろん物理的な壁はありませんし、交通体系も一体化しています。しかし、元は一本の通りであった道路には吹田市と豊中市が違う名前の標識を立て、自治会などのシステムにも、両市は違う仕組みを採用しています。10年ほど前までは「吹田市」「豊中市」の地図とは別に「千里ニュータウン」の地図が市販されていましたが、それも廃版になってしまいました。
もちろん千里ニュータウンの吹田市域は東ベルリンではないので、2つの市域が違う発展をしてもイコール不幸な話ではないのですが、「千里ニュータウン」という一体のアイデンティティは、消えてほしくないと僕は思います。なぜなら千里ニュータウンは日本で最初の大規模ニュータウンで、その物語を埋没させてしまうことは「活力の維持」をいつも考えていないといけない人口減少時代に得策でないと思うからです。

関連記事

コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (2)

    • 健ちゃん
    • 2009年 11月 11日

    へぇー、ニュータウンの地図があったんですか。みてみたいですね

    • 奥居武
    • 2009年 11月 12日

    はい、じゃあ近々ご紹介しましょう。

好評発売中!

CITY LIFE刊のムックガイド。「歴史文化」「まちづくり」の取材が丁寧で大充実。「北千里を歩く象」の記事で協力しました。こちらから購入できます。

好評発売中!

樹林舎刊の写真集『吹田市の昭和』の千里ニュータウン部分を中心に、コラム執筆や写真のアレンジ、事実関係の確認などを担当しました。限定1,500部。書店でお申し込みください。

好評配布中!〔無料〕

千里ニュータウンの最新状況がわかる「千里ニュータウンマップ2018」の制作をお手伝いしました。このマップは南千里駅前の「吹田市立千里ニュータウン情報館」で配布しています。2013年版も在庫があります。

好評発売中!

吹田市立博物館とパルテノン多摩の2018年共同企画「ニュータウン誕生」の展示・図録制作をお手伝いしました。図録購入(吹田版)はこちら。多摩版はこちら。(内容は同じです)

アーカイブ

ページ上部へ戻る