産木民彦さんの写真展「千里山」に便乗して現在の同じ位置で写真を撮り「こんなに変わった」と驚いていたら、「その中間の写真があります」というお知らせを、読者のyamasinさんからいただきました!(この文字をクリックすると大きく表示されます)
1993年春。もう世は平成。今から16年半前(ときのたつのは速いもんだ…)。産木さん(1968-9年頃?)、yamasinさん(1993年)、私(2009年)と、撮影者は全部違うのですが、たしかにほぼ同じ地点で撮られていると推定できます。
この1993年の写真が貴重なのは、ビブレ(今はサティ)をまさに造ろうとしている最中の記録で、バス停に面した専門店街も一度撤去して板囲いしている様子がわかります。右手の北センタービルは今と同じ姿に改装済(その上に写っているのは手前の建物のヒサシでしょう)。北センター全体を大リニューアルしつつある途中の姿の記録です。
正面の斜面の上には、今年春に閉校になった北千里小学校の校舎が写っています。桜も咲いています。ロータリーの中央部は、この時期、二輪車置き場でした。ずいぶんいっぱい停まっていますね。その後入りきらなくなって駅の周辺や立体駐車場などに分散されました。右上には産木さんの写真と同じく、青山台の公団住宅が見通せています。今の医療ビルの位置にあったガソリンスタンドも見えますね。使い捨てカメラで撮られたとのことですが、いろいろな情報が写り込んでいます。
千里ニュータウンの写真、開発当初とデジカメ普及以降の記録は多く出てくるし自分も撮っているのですが、その中間…1970年代後半~90年代前半の記録が、意外と出てきません。ダイナミックな変化が少なく、あまり皆が記録しようとしなかったのでしょうか。言い替えると、町が一番安定して回っていた頃なのですが…そんなものかもしれません。その中で北千里の大改造はひときわ早いリニューアルだったわけです。
次回は別アングルからの写真をお届けしましょう。
こちらこちらでは、これより10年前(今から27年前)、1983年の北千里駅前の写真がご覧いただけます。

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コメント

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  • コメント (2)

    • yamasin
    • 2009年 11月 27日

    1993年 単なる思いつきで北千里に行きました。(兵庫県在中です)
    20数年ぶりに見た北千里でしたが、大規模な工事が行われていて、なんか変わったなあ…という印象を持ったのを憶えています。
    しかし詳しい解説と3枚の写真を見ると、この時はまだ60年代の面影が少し残っていたんですね。

    • 奥居武
    • 2009年 11月 28日

    そうですね、やはりビブレ(→サティ)のできる前後で大きく見通しが変化していて、1993年はもう平成だったわけですが、まだ1969年頃のほうに近かったんだと感じました。1994年のリニューアル直前は周囲に対するお店の競争力もかなり失っていて(端的に言うと「くたびれていて」)、リニューアルが完成したときは「ああ、これで北千里も都会になった!」と嬉しかったです。(爆)

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