千里南地区センタービル、内部の変化-1

9月19日のことになりますが、【プランナーとの公開ワークショップ】「建替え・再開発の転換期にある千里ニュータウン-計画理念の再評価と空間システムの継承に向けて」(日本建築学会近畿支部)というイベントがあったので南千里まで行ってきました。千里ニュータウン計画当初の貴重な構想図(カラーコピー)が一堂に見られたのも面白かったのですが、なつかしかったのは千里南地区センタービル(1964年築)の建設当時の写真が見られたことです。
このビル、来年以降に解体が決まっていて保存してほしいという声も出ているのですが、僕がどうもよくわからなかったのは、小さいころの記憶と、現状があまりにも違う…中にはエスカレーターもあった、もっとカッコよかった、中を大改造しているはずだ…といくら言っても身近に「そうだった!」と言ってくれる人がいなくて、自分が記憶を美化しているのか?いやいや千里ニュータウンに限って自分の記憶はかなり正確なはず!…ともどかしい思いをしていたのです。
それが竣工当時の写真が展示されていて、同じビルの47年後でそれを展示しているわけですから現地の現状とすぐに比較ができ、一挙に謎が解けました!展示してあった写真と6ヵ所で定点比較を試みましたので、2回に分けてお届けします。いずれも左が1964年、右が2011年(オリジナルの写真は、多比良敏雄さんという方が撮られたそうです。カメラのレンズも違うので、まったく同じようには撮れていない点はご容赦ください)。まず1階南側の正面入口から…(この文字をクリックすると大きく見られます)

ほら!エスカレーターあったでしょう?ここにあったのか~!このビルは東半分が3階建、西半分が4階建(2階と中3階の天井が低くなっていて高さを合わせている)という変わった構造になっていて、中央のホールの吹き抜けでその違いを調整しています。そのつなぎめにエスカレーターはあったのですね。しかしこのエスカレーター、ふだんはカバーがかかっていてVIPが来た時だけ動かすお役所ぶりで、母は怒っていました。エスカレーターを撤去したフロア跡をよ~く見るとなんだかあとで直したっぽいかすかな凹凸がうかがえましたが、オリジナルの杉綾柄のフロアタイルが撤去跡にも敷かれているので、撤去は早かったのかもわかりません。(2枚目以降は画像をクリックすると大きく見られます)

正面ホールを西から東に見たアングル。この空間は竣工当時とそんなに変わらないですね。古い写真では左手前に撤去されたエスカレーターの裾が見えます。階段の手すりが肉厚で目の細かいものに取り替えられています。手すりの高さも高くなっているのでしょうか?天井はたぶん同じだと思いますが…

フロア半分上がった北側の踊り場から南を向いて。この部分は根本的には変わっていないのに、手すりを念入りにしただけで軽快さが失われ、ずいぶんダサくなってしまっています。転落事故を恐れたのだと思いますが…。神はディテールに宿るということでしょうか。レンズやアングルの違いのせいか天井が今のほうが低く感じられますが、屋外の見え方を比べると天井を低く改造したりはしていないようです…
ここまでは比較的原型を保っているように見えますが、階上に上がると!(つづく)

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コメント

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  • コメント (4)

    • tcp1pp
    • 2011年 9月 25日

    おお懐かしい!!
    子供の頃見たセンタービルそのものです!!

    • 奥居武
    • 2011年 9月 25日

    tcp1ppさん、この話題を書いたら出てこられるだろうとお待ちしてました。驚きはまだまだ続きます。

    • pigmon
    • 2011年 9月 26日

    このセンタービル内部の写真、とても懐かしいです。私の千里ニュータウンの原イメージそのものです!
    ところで、奥居武さんが参加されたイベントの元プランナーの先生方のなかに、私が子供の頃、しばらく近所にお住まいだった方の名前を見つけて、びっくりしました。私にとっては同級生Yちゃんのお父さん。日曜日に遊びにいくといらっしゃるわけで…「ケンチクカ」だということは知っていましたが、実際にどんなお仕事をされていたのかは存じませんでした。千里に関する設計をされていたのですねえ。部屋にはお父さんが描かれたというビキニのお姉さんの絵はあったけれど、建物の絵の記憶がなくて。。。残念ながら、今はYちゃんともまったくつきあいがありません。このイベントを事前に知っていたら、ちょっと行ってみたかったです。

    • 奥居武
    • 2011年 9月 27日

    うちも2軒隣に「ニュータウン開発を仕掛けた人」がお住まいでした。テレビにも出た方です。当時の大阪府関係者は大勢がニュータウンに住んでいましたね。当時の左藤府知事もニュータウン住民でした。僕は「自分で開発した町の一画を自分で買って住む」というのは仕事への全身全霊をかけた責任の取り方だったんじゃないかと思います。家は中途半端な買い物じゃないですから。千里は途中で人気が出るようになって、身内に優先分譲したんじゃないかとか問題になったこともありましたが、最初は人気がなくてツテを頼って売っていたような頃もありましたから…。その方は今もニュータウンにお住まいなんでしょうか?どこかにビキニの形をした公園とかあると面白いのですが。

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