すべてはこの町から始まった(イギリス・レッチワース田園都市)

千里山で田園都市の面影を探したところで、2013年8月に行ったきり上げていなかったイギリス田園都市+ニュータウンのレポートをこれから展開します!(8年遅れですみません…)

多くの人が憧れるレッチワース田園都市。この町こそ、ニュータウンのルーツである「田園都市」の第一号。世界中の住宅都市計画に影響を与えた「金字塔」です。JUDI(都市環境デザイン会議)のツアーに混ぜていただけることになり、いわば同行者はプロの皆さんですから、こんなに勉強になる機会はないと大喜びで参加しました。皆が巻き尺持ってたのには驚きましたが…(町のあちこちをいきなり測り始めるんです…)。

レッチワース。ロンドンから北へ約50km。wikiによれば、面積は現在約1,800ha。千里ニュータウンの約1.6倍の広さに、暮らしているのは33,000人(千里ニュータウンは10万人)。ということは人口密度はおよそ5分の1。まさに「田園」の中に、ロンドンから脱出し、理想の住環境を求めてエベネザー・ハワードという社会運動家が1903年に始めた郊外住宅都市。

この開発はいわば民間のベンチャー・プロジェクトのようなもので、事業としては苦労し、戦後、イギリス政府のニュータウン計画に引き継がれ、その流れから「田園都市」が…あるいは「ニュータウン」が世界中に広がった最初のきっかけとなりました。1903年といえば明治36年ですね。今年(2021年)で118年となります。

今では風格の街並みになっています。ハワードがめざしたのは「高級住宅地」ではなく、産業革命によって劣悪な集中環境となったロンドンで働いていた勤労者のために、住まいも働く場もいい調和の中で提供しよう…という「サラリーマン向けの独立した町」だったのですが、結果としてはプレミアムが生じてしまっています。

「サラリーマン向け」という意味では、日本のニュータウンはまさに末裔ですが、多くの場合「独立した町」にはならず「ベッドタウン」として発展したことは、よく論じられる「変節」です。

日本では、田園都市として影響を受けたのは、千里山や、田園調布。時代が下がって多摩田園都市。田園都市から派生したニュータウンとして、千里、多摩、高蔵寺…と多くの大規模な計画につながっていきます。多摩田園都市のように規模が大きくなると、田園都市なのかニュータウンなのかちょっとわかりませんね…。(多摩田園都市多摩ニュータウンは別の場所です!)

この緑陰!ひれ伏したくなるような本場です!巻き尺で測ったりひれ伏したりしていると明らかに不審者ですが、興奮を抑えてこの「聖地」をご案内しましょう…。(つづく

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