ニュータウン行きのバスを通すために削られてしまった千里山第二噴水から南へ歩を進めると、こちらはもっと有名な「千里山第一噴水」に出てきます。サイズもやや大きめ…。こちらは府道にもなったニュータウン最初期のバスルートからは外れていますので削られていません。彫像は第二噴水と同じく、1979年にリニューアルされた際に寄贈されたものですが、まるで大正時代からあったかのようになじんでいます。リニューアルされても「その町らしさ」が引き継がれているのは、さすが大先輩ですね。千里山住宅地のシンボル的な空間です。

三角形の碑は「千里山開発記念碑」。碑文はこちらをご覧いただくと…なんと、町を開発した大阪住宅経営株式会社が、1928年、新京阪鉄道に合併されて解散した時の文章になっています。千里山住宅地がモデルにしたのはイギリスの田園都市、レッチワース。この田園都市という考え方こそ、戦後、イギリスから世界に広がったニュータウン計画に強い影響を与えた「ルーツ」であり金字塔ですが、理想を追い、社会改善運動としての色彩が濃く、レッチワースも経営には苦労したようです。その運動を追った千里山住宅地も、経営的にはやはり苦労したのですね…。この新京阪鉄道も1929年の世界大恐慌のあおりを受けて、1930年には親会社の京阪電鉄に合併されているのですから、転変が激しいです。

しかし開発から千里線とともに約100年!千里山は千里山らしさを保ってきました。とくに大正時代に開発された駅の西側は、緑陰に包まれ、箱庭のような安心感があります。町割りが古いので道路は細いのですが、まさにヒューマン・スケールです。この点はモータリゼーションを前提とし、かつ大量供給の使命を背負わされた戦後派のニュータウンとは、大きく異なる点です。ニュータウンは田園都市をルーツと思って憧れていますが、田園都市はニュータウンを…どう思っているでしょうか?不肖のナントカと苦笑しているでしょうかね。

ともあれ町の人たちはこの物語を大切にして、駅からこの第一噴水を貫く道には「レッチワースロード」という愛称も付けています。この町の出身者は…錚々たるメンバーです!文化のある町ですね。千里ニュータウンも来年(2022年)には「まちびらき60年」を迎え、100周年へ向かっていくわけですが、成熟した町とはどのようにあるべきか、一番身近なお手本が千里山と言えるでしょう。(写真はすべて2020年8月撮影)

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

好評発売中!

CITY LIFE刊のムックガイド。「歴史文化」「まちづくり」の取材が丁寧で大充実。「北千里を歩く象」の記事で協力しました。こちらから購入できます。

好評発売中!

樹林舎刊の写真集『吹田市の昭和』の千里ニュータウン部分を中心に、コラム執筆や写真のアレンジ、事実関係の確認などを担当しました。限定1,500部。書店でお申し込みください。

好評配布中!〔無料〕

千里ニュータウンの最新状況がわかる「千里ニュータウンマップ2018」の制作をお手伝いしました。このマップは南千里駅前の「吹田市立千里ニュータウン情報館」で配布しています。2013年版も在庫があります。

好評発売中!

吹田市立博物館とパルテノン多摩の2018年共同企画「ニュータウン誕生」の展示・図録制作をお手伝いしました。図録購入(吹田版)はこちら。多摩版はこちら。(内容は同じです)

アーカイブ

ページ上部へ戻る