日常が歴史に変わるとき
- 2012/10/15
- 千里ニュータウン
- まちの記憶, イベント, 団地
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まちびらき50年を迎えた千里ニュータウンでは、実行委員会主催イベントのほかに、関連イベントとして吹田市立博物館の「ニュータウン半世紀展~千里発・DREAM」が10/13から始まりました!
おっと、これは…そうです、つい数ヵ月前までふじしろ幼稚園の斜め向かいにあった藤白台公社A9棟の住棟番号!解体に際してニュータウンの歴史資料として博物館で貰い受けて展示されているのです。建物の上のほうから降ろしてきて目の前で見ると、デカイです!藤白台の公社解体現場からは、この50年の節目と解体時期がちょうどシンクロしたため、いろいろなブツを博物館で引き取りました。A7棟の住棟番号は南千里駅前の千里ニュータウン情報館で、A9棟の住棟番号は吹田市立博物館で展示されています。
こないだまで日常の景色の中にあったものが博物館に収まっているのは不思議な気分ですが…まさに日常が歴史になっていく…その境目に千里住民の私たちはいるのかもしれません。千里ニュータウン情報館、吹田市立博物館、行ってみてください!(どちらの展示にも僕は関わっているのです…)
知らない人が見たらガラクタにしか見えない、知ってる人が見たらものすごくなつかしい!…そんなアイテムのかずかずと再会できることでしょう…
コメント
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コメント (17)
これって一般の人は譲ってもらえるんでしょうか?自分はB13を出来れば欲しいですね(でもなんとなく×そう…)
それをやりだしたら、現場は大変なことになるでしょうね…高い場所についているものを丁寧に外してもらうところからやらねばならないので、ずいぶん苦労されたようです。
50周年記念行事の街歩きに参加したついでに千里ニュータウン情報館でA7を見ました。バスオールにはビックリしましたが(田舎育ちなもので、五右衛門風呂も知っている私としてはカルチャーショック)
ジオラマはよくできていますね。壁に飾ってある航空写真の引き延ばしって、手に入らないのでしょうか?
あのジオラマは、昭和天皇、皇太子、大臣、各国VIPなどが視察に来たときご覧になった由緒あるものです。もちろん町の子供たちも!航空写真はもう原版もないものですが、こちらのサイトからは各時代の千里の航空写真が見られます。根気よく探せば古くて鮮明なものも出てきますよ。
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/search.html
ニュータウン半世紀展、行ってきました。団地の間取模型、洗面台がないとか黒電話が裸だとか、窓がアルミの銀色なので鉄錆の赤茶色がいいのでは?とか障子にカーテンはつけないとか、うるさく突っ込んでしまいました(笑)
こんばんは、今日いこうおもてましたがちょい用事があり藤白台辺りをぶらぶらとしてましたがあたしの友達んちB棟も知らん間にフェンスが有り日がくれるまで散策しましたわ。まだA棟は解体されてませんね(-。-;あそここそ真っ先かとおもてましたがw
今度じっくり行きたいですわ!博物館行って南千里のプラザ行って津雲台で実寸大をみて千里ニュータウンを楽しみたい!
「ニュータウン半世紀展」の団地模型は、平成の女子大生が親さえ生まれているかどうか…という「大昔」の生活を再現するチャレンジですから、ぜひ親切にツッコンであげてください。鉄サッシであることはわかっていて分厚く表現してあるのですが、銀色に塗ってしまったのは「あ!しまった!」という感じですね…特に府営バージョンの模型のほうはおおざっぱな図面しかない状態から再現しているので、相当に苦労したようです。
藤白台は公社に続いて府営も新棟の一期が完成して引越が進み、かなりの部分が塀でおおわれました。今は公社の新棟/旧棟、府営の新棟/旧棟がひととおり揃っている貴重なタイミングです。まだの方は博物館も南千里と佐竹台のタイムスリップ展も藤白台もぜひお越しください!街路樹も色づいてきましたね。
スチールのサッシはシルバーで間違いないとおもいます 設定からほぼ新築で入居のようなのでまだ錆びは出ていないはずです。住宅供給公社バージョンの南面の障子はなかったはずです カーテンのみですね(^^)初期の公社のには洗面所は独立しておらず浴室内にあったようですね♪浴槽の中に釜がありよく火傷したもんですからあれは製作に加えて欲しいな!
あのジオラマは、千里NT初期から在るものなんですか!彩都のジオラマは以前に見た事があります。そのうち、全国のニュータウンのジオラマや団地復元模型を集めて特別展なんていかがでしょう。設計思想の変遷などが一目瞭然!? 千里がやらなきゃドコがやる?
スチールのサッシは塗装されていたのではなかったですか?>てつさん
情報館のジオラマは、1964年頃制作され、南千里→千里中央→吹田市立博物館…を経て、今回42年ぶりに南千里に帰ってきたものです。>ムクドリさん(証拠写真)
http://senri-g1964.at.webry.info/201109/article_10.html
視察に来るVIPに計画の全貌をわかりやすく示すことと、入居希望者に完成像を見せて安心して入居してもらう目的があったものと思われます。ですからニュータウンではどこでもジオラマを造ることが多いです。彩都のジオラマは東部地区まで全部できたときの姿を示していて、これも興味が尽きないですね。千里ニュータウンのジオラマも、よく観察すると実際と違っている部分があり、計画がどのように変遷したかをうかがい知ることができます。
ジオラマ関連で-森ビルの都心ジオラマ、圧巻です{%うっとり(ぽわん)webry%}ニュータウンのジオラマは昭和30年代では数少ない物だったのではないでしょうか。南センターに行った時は必ず眺めていました。北センターには無かった様な…
この会話の中で今やっとわかりました。サッシは頭からスチールだったと思い込んでいましたが、塗装などしていないので、アルミサッシだったってことです。津雲台の大阪府住宅供給公社のサッシはアルミです。ただし、ベランダに出る扉はスチールで42年の間に何度か塗り替えています しかしながら昔のアルミサッシなんで今のものほど綺麗なものではありません
森ビルの都心ジオラマも見ましたよ。六本木ヒルズのてっぺんの。森ビルは都心をニュータウンにするつもりなのかも?千里ニュータウンのジオラマは北千里には縁がないですね。あれは「ニュータウンに1個」です。
てつさん、1964年頃はアルミサッシの普及途中で過渡期だったのかも?うちのセキスイハウスは1964年築でアルミサッシでしたから。藤白台小学校は1965年築で鉄サッシでした。
私が住んでいたB棟も鉄サッシでしたね。今考えると結構重くて、何年に一度ペンキを塗り替えてました。ですから千里から丸亀に越した時、借りた家が窓が軽い木枠だったのに違和感を感じたものです
鉄サッシの「ガラガラガラガラ…」という音は昭和の響きでしたね。ところで三丁目B棟の多くの部分が解体工事に入りました。新棟が2つ大きなのができたので、多くの人が引っ越したようです。センターから小学校に向かう道沿いの棟は、まだ住んでおられます。
ニュータウン半世紀展を再度訪問。団地模型がバージョンアップしていてびっくり。B39棟も見学してきました。増築した間取を見学したのは初めて。けっこう広くなったんですね。南公園がすっかり色づいて、とても美しい景色でした。
「ニュータウン半世紀展」、あと少しです!11/25まで。とても面白いのでぜひ行ってみてください。展示は日々進化しているので一度行った方もぜひどうぞ。途中のいちょう並木もものすごく今年はきれいです。
http://sui-haku.at.webry.info/