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タグ:まちの記憶
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千里南地区センタービル(2009年2月8日)
昨日のブログからわずか1年半後… 季節も違いますが、右手のメゾネットが建替のため解体されました(この様子が住民の方によってブログにアップされています)。この結果、メゾネットに隠れていた佐竹台の公社住宅がまた見通せるように… -
千里南地区センタービル(2007年6月8日)
約1年半前に撮った定点観測の写真。 季節が初夏という違いもありますが、1964年(推定)の写真と比べると、街路樹が高く生い茂り、右手には佐竹台メゾネットが公社住宅を隠しています。 …しかし43年経過したわりには、ビル前の… -
千里南地区センタービル(1964年頃)
他のニュータウンの訪問記がたまっているので次は成田ニュータウンをレポートする予定でしたが、2年前の南地区センタービルの記事にコメントを頂いたので予定変更… 1964年ごろ、当時からの住民の方が撮影した南地区センタービルで… -
いきかう人たち
ふじしろ幼稚園前の風景に戻って、ちょっと一服…。 朝は阪大に向かう人の群れが左から右へ、金蘭に行く人は画面奥へ、上山田から小学校に通う子供は右から手前へ…と、藤白台の中ではもっとも都会的?な風景を演出する一角です。幼稚園… -
震災後の歳月(2009年1月20日)
さて、13年間で三色彩道のアメリカフウはどれだけ成長したでしょうか? 前日に紹介した1995年12月の写真と見比べてください…。モノクロとカラー、フィルムカメラとデジカメ、レンズや光線の違いがあって、完全に同一条件の比較… -
震災後の歳月(1995年12月25日)
震災前後の写真を探していたら、三色彩道の途中で撮った写真が出てきました。中途半端な構図ですが、この日は珍しく雪が積もり、カメラを持って会社へ行ったのです。気取ってモノクロフィルムなどで撮っています。1995年ですが暮れの… -
その街らしさとは
神戸市は震災後の14年間で、人口の1/3が新しい住民に入れ替わったそうです。 これを多いと見るか少ないと見るか…震災が人口移動を後押しした面はあったにせよ、14年の長さで1/3というのは、大都市であればそんなものではない… -
阪神大震災の時、千里ニュータウンはどうだったのか?
阪神大震災から14年…当時芦屋にいて震度7を経験した私にとっても忘れられない日です。 この震災で、千里一帯は「被災地」と呼ばれることはありません。しかし全く無傷であったわけでもありません。僕は「その瞬間」は芦屋にいたので… -
仮面舞踏会
昼間は子供の遊び相手としてふるまっているゾウのすべり台…(またの名を「しろすべ」)。 なんと深夜には顔を変え、網タイツをまとって踊っているではありませんか!(写真をよく見ると、下半身の網タイツがよーくわかります)…なーん… -
ひとつの庭を囲んで
2008年も終わろうとしています。今年、このブログでも、藤白台でも、千里ニュータウンでも、私の身の上でも、いろいろなことがありました…。 2006年夏から始めたブログは3年目に入り、2009年に入ると「足かけ」4年ってこ…
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