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タグ:まちの記憶
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「ステンレスの林」はどこへ…?
先日、朝日新聞を見ていて驚いたのですが、千里中央にあったこの「動く彫刻」、覚えておられますか? その名は「ステンレスの林」。1970年、千里ニュータウン完成記念に、ニュータウン内各所に設置された現代アートの一つです。(藤… -
千里ニュータウン開発記録映画上映会!(11/17・土)
さあて、ここはどこでしょう…?ヒントは1962年。たぶん(のちの)藤白台。中央奥の池は?…といった貴重な映像が、オールカラーでよみがえります。不肖私の解説付き…。 日本ではじめてのニュータウン、千里ニュータウンはなぜ作ら… -
千里ニュータウン開発記録映画上映会!(11/3と11/17)
日本ではじめてのニュータウン、千里ニュータウンはなぜ作られたのか?どのように作られたのか?開発前や初期の風景は…? この貴重な記録が、動画で、しかもオールカラーで見られます。不肖私の解説付き…。ニュータウンを最初の頃から… -
ソビエト館の見える風景(1969秋)
ハズカシながら私が小学校4年生のときに藤白台診療所の前から描いた油絵です…市民ホールで習ってたんですよ。先生の手が相当入ってますが…。 私がボランティアで吹田市立博物館に出入りしている関係でこのブログは博物館の「勝手ブロ… -
ソ連館を望む(推定・1970秋~)
ソ連館と藤白台が一枚に納まった写真を、青山台中学校1975年の卒業アルバムから見つけました。 この写真、よく見るとソ連館の上1/3がパネルが貼られていないようで、完成前の1969年か、終了後の解体開始後(秋~年末ぐらい?… -
エキスポタワーとの日々
藤白台から見えていた万博の構築物で、一番よく、長い間見えていたのはエキスポタワーでした。 開催中に見えていたのは、ソ連館、古河パビリオン、住友童話館…ロープウェイも見えたなぁ…開幕したその日から、会場のざわめきやこだます… -
藤白台と万博
藤白台の歴史で一大事件は、やはり1970年の万博に尽きるでしょう。 地元吹田の中でも藤白台は、万博会場の隣り!でしたから、境界線上で考えれば、まさに徒歩1秒の隣人!…という言い方はやや広告屋めいていますが、自宅から万博西… -
そして森が残った
建替着手間近のA20棟と、「ふれあいの道」ぞいの斜面緑地。 以前にも書いたようにこの斜面緑地は開発以前からの自然林でもなく、大阪府が造成に際して整備した緑でもなく、団地に入居した皆さんが1976年ごろ、雑木林を整備し直し… -
団地植物園-タマスダレ
うちにもあって「ナツズイセン」って呼んでたのですが、ネットで検索しても出てこないのでとうとうNHKの「趣味の園芸」に投稿して質問したらタマスダレだと教えてもらいました。 飾り気もなく、お店にもあまり出てるのは見かけません… -
町はメリー・ゴーラウンド
きのう9/2は吹田市立博物館で千里ニュータウン記録映画の上映会を行い、不肖私が解説をさせていただきました。一日でいろいろな方とお会いしました。 ○上映会前には、春の「アーカイブ北千里」写真展で若くして亡くなったお嬢さんの…
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