南千里のイオン跡から急な坂道を登って(ハアハアゼイゼイ…たしかにここは千里「山」だあ~)、標識に従ってくねくねと歩いていくと、やがて可愛らしい噴水にたどりつきます。こちらは「千里山第二噴水」。クラシックな彫像は1979年に設置されたものだそうです。意外と新しいな。噴水池は八角形、街路は四角形になっていて、街路の三辺には植え込みが配されていますが、南千里から千里山駅に向かうルートがかすめている一辺だけは、この植え込みが削られて道路が池の近くまで迫っています(完全な円形ロータリーなら、進入した自動車はすぐ右の出口へ行きたくても左回りで3/4周回るのがルールですが、ここでは街路は四角く、各辺とも両側通行になっています)。
こうなっているのにはいわれがあります。千里ニュータウン(佐竹台)の入居が始まった1962年、阪急は千里山どまりで、新千里山(南千里)までの延伸は1年後になる予定だった。足がなければ住民は通勤ができない。そこで千里山駅から佐竹台までを結ぶバス路線を暫定的に開設することになったが、千里山住宅地は大正時代の開発で道が細く、バスが安全に曲がれない。そこで泣く泣く、噴水を囲む植え込みの一辺を削らせてもらうことになった…という話。この話は大阪府で開発に携わったK先生から伺いました。
2021年の今行ってみても、たしかに「削った跡」が生々しく、ニュータウン住民としては申し訳ない気分になります。そうそう!1970年に新御堂筋と(今の)中央環状線が開通するまでは、大阪市内から千里ニュータウンにクルマで入ってくるメインラインは、この噴水をかすめているくねくね道と、七尾から亥子谷を経て入ってくる道しかありませんでした(1966年の昭和天皇視察では、往復とも七尾ルートが使われたようです)。このくねくね道は、今も「大阪府道121号吹田箕面線」に指定されています。府道であるのが信じられないような、住宅地の中の生活道路です。
ニュータウンの開発がなければ、住宅地の奥の静かな噴水のままであっただろうに…。イギリスのレッチワース田園都市に範を取ったと言われる千里山住宅地は、千里ニュータウンの大先輩なのに…。千里ニュータウンは「外」と市街地が続いてしまわないように、グリーンベルト(千里緑地)で囲われ、自動車道が入ってくるポイントも意図的に絞られていますが、このような「シワ寄せ」が起きるのであれば、なぜ線路に沿って道路を整備しなかったのでしょうか…?やはり「設計ミス」のような気がしますが、何か、そうできなかった理由があるのかもわかりませんね。
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