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タグ:まちの記憶
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千里ニュータウンはベルリンか?(壁崩壊20年)
ベルリンの壁が崩壊してちょうど20年とのことで、特別記事。写真は2003年にベルリンを訪問した時の「ホンモノの壁」の跡です。 中央の人が踏んでいる線が壁の痕跡。正面に残された壁の切断面が見えています。歴史的な存在なのにご… -
次停車(約40年前)
こちらは1967年製の古いボンネットバスの社内。同じボタンでも今と全然違いますね~。 実は今年5月につくばへ行ったとき、ボンネットバスで筑波山一帯を案内していただいたのです。こういう古いバスを動態保存しているNPOがある… -
つぎとまります
路線バスはニュータウンの毛細血管ということで、バスネタもう一発いきましょう。 いまではあたりまえになったワンマンバスですが、千里ニュータウンが出来た頃のバスには、まだ車掌さんが乗っていました。定位置は中央の扉のうしろで、… -
ありし日を偲ぶ(新千里北町)
こちらは千里中央からほど近い新千里北町第3団地。いわゆる公団(現UR)の分譲団地です。 つい今月の初めまで姿を見せていたのに、先日、建替のために建物が覆いで囲われました。白にグリーンのアクセントがしゃれた塗り分けでしたが… -
「千里山(1964~1970)」写真展…天満橋・EXPO CAFE
開発初期の千里ニュータウンや建設中の万博会場が、若いレンズによみがえる! 前にも一度ご紹介したまぼろしの写真集「千里山」(自費出版なので一般の本屋では売っていないから)。産木民彦さんが千里丘陵を歩き回って記録した貴重な写… -
ここはどこ?は南千里でした!
昨日出題した「ここはどこ?」はおーぼらさんのコメントが大正解で、南千里でした!(ただし当時の駅名は「新千里山」) コメントにあるとおり、今は北千里行きのホームが増設されているため、定点(梅田行きのホーム上)から写真を撮る… -
ここはどこ?(千里ニュータウンです)
ひさしぶりに千里ニュータウン…なんですここは。ただし1965-67年頃。ニュータウンにお住まいだったある方が撮られた写真です。(このブログの写真、サイトポリシーに書いてありますが勝手に取って使わないでくださいね!) さて… -
「海を失った防波堤」by村上春樹(芦屋浜シーサイドタウン)
ニュータウンと既成の町の境界には、はっきりしたギャップが生成されることが多くありますが、埋立地のニュータウンでは、それは「旧海岸線」ということになります。 こちらが、昔ながらの「芦屋」(左)と、埋立地である「芦屋浜シーサ… -
海上都市(芦屋浜シーサイドタウン・1980年9月)
芦屋浜ができたばかりの頃、撮りに行った写真があったはずだ…と押入れを捜索したら、出てきました!弓なりに続いている甲子園浜からの遠望。夕陽にうかびあがる未来都市のシルエットです。 甲子園浜は阪神間でほぼ唯一残された自然の浜… -
ヅカあればこそ。
当ブログでは特定企業の宣伝は行わない方針ですが、住民生活に密着している企業活動を紹介するのは自然なことだと考えております。 …というわけで阪急の駅や車内にいつも貼ってある宝塚歌劇のポスター。もうこれは、阪急のある町の景色…
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