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タグ:まちの記憶
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震災後の歳月(1995年12月25日)
震災前後の写真を探していたら、三色彩道の途中で撮った写真が出てきました。中途半端な構図ですが、この日は珍しく雪が積もり、カメラを持って会社へ行ったのです。気取ってモノクロフィルムなどで撮っています。1995年ですが暮れの… -
その街らしさとは
神戸市は震災後の14年間で、人口の1/3が新しい住民に入れ替わったそうです。 これを多いと見るか少ないと見るか…震災が人口移動を後押しした面はあったにせよ、14年の長さで1/3というのは、大都市であればそんなものではない… -
阪神大震災の時、千里ニュータウンはどうだったのか?
阪神大震災から14年…当時芦屋にいて震度7を経験した私にとっても忘れられない日です。 この震災で、千里一帯は「被災地」と呼ばれることはありません。しかし全く無傷であったわけでもありません。僕は「その瞬間」は芦屋にいたので… -
仮面舞踏会
昼間は子供の遊び相手としてふるまっているゾウのすべり台…(またの名を「しろすべ」)。 なんと深夜には顔を変え、網タイツをまとって踊っているではありませんか!(写真をよく見ると、下半身の網タイツがよーくわかります)…なーん… -
ひとつの庭を囲んで
2008年も終わろうとしています。今年、このブログでも、藤白台でも、千里ニュータウンでも、私の身の上でも、いろいろなことがありました…。 2006年夏から始めたブログは3年目に入り、2009年に入ると「足かけ」4年ってこ… -
ああ!大失敗…
年明けの父の納骨式に備えて墓石に刻み込んだ碑文ができたというので霊園に見に行ったら…ああ!なんということでしょう!父の誕生日を一日間違えて刻んでしまいました。慌てて帰宅して石屋さんに送った原稿を確認したら、原稿が間違って… -
残されたもの
少し季節が夏まで戻りますが、佐竹台の府営住宅建替現場で目撃したシーン。 右手の一団のメタセコイアは、以前にもご紹介したのですが、覚えておられるでしょうか?こちらです。建替工事着手前のシーン(アングルは違います)。最近、仲… -
父が亡くなりました
昨晩、父が亡くなりました。「古いもの」へのこだわりや愛着が人一倍強かった父でしたが、最期は仏様か神様に「もうこだわらなくてよいぞ」と許されたかのように、苦しみを感じる暇もなく、あっけないほど一瞬のうちに行ってしまいました… -
千里ニュータウン開発記録映画上映会!(10/18・土)
またまたやります千里ニュータウン開発記録映画上映会!7月に津雲台近隣センターで行った上映会の「続編」です。千里ニュータウン「充実期」の映像がたっぷり出てきます。不肖わたくしの解説つき。 ●会場:津雲台市民センター2階(入… -
産木民彦写真集「千里山」
いま千里ニュータウン界隈で静かに話題になっているのが、この写真集。さる7月19日、わたくしは津雲台近隣センターでニュータウン記録映画上映会の解説をさせていただきましたが、このときには写真展も同時開催されました。 タイトル…
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