団地の建替工事を見ていてわかることは、事前の交渉事や移転は気が遠くなるほど時間がかかる。ところが解体工事が始まると古い建物を壊すのはあっという間。つづいて整地したり穴を掘ったり新しい建物の基礎を打つのは、これがまた時間がかかる。ところが新棟の姿が現れ始めると、これがすごいスピードで日に日に高くなっていく…ということです。
この写真は7/18撮影。少し撮影地点が違いますが、7/7に撮った写真と比べると、わずか10日たらずでも最低一層は高くなっているようです。今の工事は40年前と違って槌音もなく静かなので、まるでレゴブロックを積んでいるような錯覚を起こしてしまいます。
ほぼ同じ地点からの撮影で、旧棟解体直前の2008/4/26がこちら。2008/5/4がこちら。2008/5/30がこちら。解体撤去がほぼ終わった2008/6/27がこちら。新棟が積み上がり始めた2009/5/18がこちら。2009/7/7がこちら。
(途中で広角が写るカメラに買い替えたので画角が広くなっていますが、同じ画角のままだと大きくなった新棟が写真に入りません。定点の目安は中央の電柱と標識ですが、この電柱もビミョーに位置が変わっています。)
この棟は14階建になりますからまだ高くなります。
コメント
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コメント (6)
壊すの 早いですね 自分が42年住んだ建物
おととい半分はありました 昨夜行くと
綺麗になくなっていました
高い養生壁で 見えななかったけど
しっかと 瞼の奥に焼き付けました
築45年 2009年7月28日が命日
それはT台ですね。(たぶん)同じ区画にお住まいだった方が「朝会社に行って帰ってきたらなくなってたぐらいの速さだった…」とおっしゃってました。世界的な大不況にぶつかってスローダウンはしていますが、団地建替、千里のあちこちで少しづつ進んでいますね。
高い建物が建つと一帯の景観はすっかり変わります。変化で寂しくなるどころか、そこに住み続けるのがいやになることもあります。一方、高層マンション(M)の新住民はお邪魔虫の配慮もなく、眺望を買って転居してきます。
昨夜、桑田佳祐の姉上、岩本えり子著『エリー(C)―茅ヶ崎の海が好き』を読んでいたら、茅ヶ崎海岸南側の高層M建設計画反対運動で闘ったことが載っていました。反対派は海岸からみえている富士山がどうなってしまうのか、建物の4隅の高さに4個のバルーンを上げて市民にアピールしました。更にあの手この手でがんばって、ついにマンション計画は見直され、低層の結婚式場に変更になるのですが、それを見届けて岩本さんは昨年10月に乳がん再発で亡くなられました。
市民はまちの景観は自分たちが守るのだという気概をもちたいものです。
眺望の問題は、必ず出てきます。千里ニュータウンが向き合っている問題は「建替」ですので、新しい人も入ってくるし、前からの人も高層化した建物で同じ町に住み続け、ミックスしたコミュニティを作らねばなりません。分譲の場合は建替費用の捻出、賃貸の場合は(大阪府や公社など)貸主の財政事情…そこに減っている人口を多少でも回復しないと町が沈滞化してしまうというニュータウン特有の課題もあり、住民感情も非常に複雑で、一概に「高層化を防ぐ=町を守る」とはならないのです。千里ニュータウンの中で高層化による建替が行われた住区では、子供の数が増えて廃校構想が撤回になったケースもあります。私は高層化大賛成でもなければ大反対でもありません。考えれば考えるほど、そうなります。
5月に千里に行きました。以前住んでいた地域を写真に収めるためです。ついでに小学生時代の友人と待ち合わせをして久しぶりに語り合ったのですが、彼女らは依然、自宅が千里にあるため、私のように昔のニュータウンに執着が無い様で・・・。私は南千里駅の周辺が、本当に変わって行っているのを見て、少し辛い思いをしたのです。当時の建築、今見てもスタイリッシュだったりすると思います。老朽化しているので仕方ないのですけどね。
人も、町も、生き続けていれば少しずつ変わっていくことはしかたのないことです。でも、同窓会などに行って「ゲゲッ」と思った同級生が、すこし話し込むとやっぱり同じ人間だなと思えるぐらいに、町も姿が変わっても「何か」が引き継がれていけばいいんだと思います。僕はやっぱり、ニュータウンはいつも「ニュー」に前向きであってほしいと思うんですよね。で、その「何か」は何か?ってことです。もちろん、新しくできる建物もスタイリッシュであってほしい。今よりダサくなるのは許せんです。でも建物の形以外にも、いろいろなことがありますよね。