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タウンハウス(筑波研究学園都市)
- 2009/5/16
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- まちあるき, 団地
- 6 comments
つくばで数多く見かけたのは、このようなタウンハウス風の低層集合住宅群でした。
※ネットで調べると「タウンハウス」と「テラスハウス」は共有庭があるかどうかで使い分けられている場合と、同じ意味で使われている場合があるようです。
この形態は千里ニュータウンでは佐竹台や古江台のごく一部で建設されましたが、今は建て替えられて姿を消してしまいました。(千里では建設当時の技術で中層住宅が建てにくかった地盤の土地だけに、この低層集合住宅が建てられたとか…。)その後、多摩ニュータウンや西神ニュータウンなどでは積極的に導入されましたが、いわば「団地」と「戸建」の中間のような形態で、中層住宅ほど土地を高度利用できず、戸建のように自由に増改築ができないことから、けっきょく中途半端で、日本ではあまり普及せず、一部の実験的な町へ行かないと見ることができません。つくばで多く見かけたのは、都心から距離があり、土地を高度利用しなくてもコストが引き合ったという事情によるのでしょうか。
筑波研究学園都市の集合住宅は公務員住宅が多いということですが、ここはどうなのでしょう。公務員住宅であれば賃貸ですから、同じ人が住み続けて改築の合意形成に苦労する…ということを考える必要がなく、タウンハウスが多く採用されたのかもしれません。
日曜の午前中ではありましたが、夏の雨に打たれ、子供の声も聞こえずひっそりと緑の中に静まり返っていました。
コメント
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コメント (6)
たしかに 佐竹台にありましたね
今 ふと なんで自分は詳しいのだろうと考えたら
高校に入ってすぐ 吹田市のキャンプボランティアをした(吹田市子供会リーダー協議会)ので
夏休みが終わるまで アルバイトが出来ず(夏休みがメインですから)
9月 学校通いながら出来るあんちょくな考えで
新聞配達に応募(中学時代バスケを3年しっかりやったので体力には自信があったのと 朝に強かった)
津雲台のM新聞舗で 始めるが 高校生は主に団地専門
(配置カードを貰えばすぐ覚えられた 分譲住宅は難しい)津雲台 高野台 佐竹台 が僕の担当であった
よって この3つは 大学時代も含め 早朝 走り回った だから 佐竹台の公社なんて 得意中の得意であった(^^)
それは詳しくなりますね~
今 ふと なんで自分は詳しいのだろうと自分も考えてみたら、幼稚園のバス通園のおかげかなと思います。1964年に引っ越してきた頃、藤白台には(古江台にも)幼稚園がなく、高野台の玉川幼稚園が一番近い幼稚園でした。で毎日スクールバスに乗って、高野台 佐竹台 津雲台 古江台 藤白台…とバスは回るわけですから(2ルートぐらいあったような気がしますが)毎日ニュータウン見学しているようなものでした。どんどん出来ていく町の変化を見ながら、幼稚園児のやわらかい頭に…
今 ふと なんで自分は詳しくないのだろうと考えてみたら、もともと方向音痴ということもあるけれど、近隣住区論の恩恵をこうむって、小学校と中学校がとても近かったから、ロクに道草する距離がなかったのだなーと。その反動で?高校はどうしてもニュータウン外に出たかった・・・ええ、だって高校も、歩いて5分のところにあるんだもん(幼稚園より近い!)、その頃はそんなの、ぜったい許せなかったです。
それは詳しくなれませんね~
でも同じ住区の中のことだったら、ミゾが詰まる場所まで知っているとか?
しかし 「今 ふと 自分は・・・・」
シリーズ もっとやりたいですね
パソコンの前で 爆笑してたら 僕ら 幼稚園の頃の
記憶は あんましないのに 奥居武は すごい観察力だったんだと 妻が笑っています(^^ゞ
静かな月曜日…子供の声がしない!(うちは小学校の目の前)会社休んでブログで遊んでたいですが、そうもいかん。しょうがないなあ、会社でも行くか…