レッチワースの地味で重要な一面(イギリス)(ブログ開設15周年)

(2013年8月に訪問した時の記録です。)よく語られることですが、イギリスの田園都市は働く場所もセットにして「自立した町」を造ったのに、日本のニュータウンは住宅だけの「ベッドタウン」にしてしまったと。

そう!たしかにありました!町の東側に産業団地の一画が!かなり大きいです。レッチワースを運営する財団は、ここや、農園からの「上がり」で町をトータルに運営している。そこは日本の多くのニュータウンと違います。不動産を持って町を運営しているという点では、むしろ住吉学園などのあり方に近いかもしれません。

この看板を見つけて「これは行ってみなくては…」と足を運びましたが、緑に包まれた素敵な産業団地…ではなく、そっけない普通の産業団地でした。大企業や大工場どーん!ではなく、中小の事業所がいろいろ集まっています。

クルマや流通関係が多いようでしたが、2013年時点ではサムソン関連の事業所もあったような…。煙がもくもく出るような工場はなくて、特別ファンシーでもないけれど、住宅地に隣接して問題がないような事業所が集まっています。(下の案内板に出ているのは、ごく一部。)

しかし話を聞いてみると、「自立している」というほど単純なことではありませんでした。レッチワースは、たしかに当初は「ロンドンの普通の勤労者のための」社会改良活動として、開発された。その時点ではそうだったのですが、時がたつにつれ、こういう「理念に共鳴する人」というのはやはりインテリですから、職業も知的に幅広く選びたい。今、財団が使っている立派な建物も昔は紡績工場(コルセット工場)だったということですが、コルセット工場では満足できなくなるわけです。するとやはり、ロンドンへ通勤することになってしまう。

逆にここで働く人はどこから集める?外から来ることになるわけです。その結果、「両方向の通勤」が発生することになる。自立しているどころか、人の流れで言うと「双方向依存」になるわけです。それが現実。レッチワースの立地は、実は「自立もめざすけれどロンドンにも通えるよ」というダブル対応で、鉄道駅あればこそ成り立ってきた…ということのようです。

そう考えれば、千里ニュータウンだって隣に箕面船場繊維卸商団地が隣に追っかけ誘致されているわけで、表面的には、大阪府は「両方やりましたよ」ということになる。広域ではバランスを取りながら、ニュータウン部分の中だけでは「ベッドタウンに割り切る」というのは、やはり最適解だったのではないか?と思えてきます。レッチワースは都心から50キロですが、千里は15キロ。この違いも大きいです。

むしろレッチワースのミソは、「そこからの上がりで町を運営する」という財務面での自立のほうにあるのではないか?そういう「形に見えないこと」は、「形に表れていること」を相当観察しないと、見えてきません。(また行きたいものだ…)(つづく)

●きょう、8月13日で、当ブログは2006年8月13日の開設から15周年となりました!閲覧ありがとうございます。途中でfacebookのほうに書くようになったり移転リニューアルしたり…。内容も「藤白台ご町内ブログ」からニュータウンマニアが重症化して、もうあちこち行ってますが…。これからも「世界を見るように近所を見る、近所のように世界を歩く。」の精神で書きついでいきたいと思います。どうぞよろしく。また世界へ行けるようになりますように!

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  1. 2021年 8月 24日

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