2つめの田園都市(イギリス・ウェリン田園都市)

(2013年8月に訪問した時の記録です。)レッチワースに続いて訪れたのは、ウェリン田園都市。同じエベネザー・ハワードが、レッチワースに続いて1920年から建設した「2つめの田園都市」です。

日本のニュータウンは、おおむね「あとに造ったほうが都心から遠くなる」ことが多いですが、このウェリン田園都市はレッチワースよりもロンドン寄りにあり、ロンドンからの距離は30キロあまりです。イギリスでは市街地がずるずると都会から続いて広がっていないので、「あとから、より近くに」土地を取得することができたのでしょう。

都市開発において「弟分」は改良型になる面があり、レッチワースよりダイナミックな空間構成が感じられます。知名度においてはレッチワースに遠く及びませんが、「より良き社会を実現したかった」ハワードにしてみれば、2つめが成功するかどうかは事業上の重要なポイントで、晩年はレッチワースではなくウェリンに住んでいたことからも、思い入れの深さがうかがえます。

しかし大恐慌があり、第二次世界大戦に向かい、1つめのレッチワースでさえ分譲で売って終わり、というモデルではなかったのですから「完成していた」わけでなはく、そのような中で2つめに事業を広げたことは重い荷物を自ら背負うようなことでした。

ついに戦後、やりかけだったウェリン田園都市は、つづきを政府による「ニュータウン」として開発が続行されることになります。戦争による大量破壊と、戦後のベビーブームとともに爆発した住宅需要を受け止めるためには、ベンチャー的な民間の力ではとても足りない、政府が乗り出さないと間に合わない…という時代の要請が「ニュータウン」の誕生につながっていきます。

つまり ウェリン田園都市は、民間事業である「田園都市」と、公共事業である「ニュータウン」のハイブリッドになっています。両者は「似て非なるもの」として、とくに誇り高き田園都市側から見れば線を引きたい関係ではないかと思いますが、その「ミッシング・リンク」をつなぐのがこのウェリン田園都市なのです。(つづく

(ウェリン田園都市は、3キロほど北に離れた場所に旧集落としての「ウェリン」があるために、区別するため「ウェリン田園都市」と呼ばれることがあるようです。)

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