(30年前の)未来都市のようでもあり、セレブとも評される百道浜(シーサイドももち)ですが、こんな親しみやすい…どちらかというと昭和なイメージの表示を発見。「サザエさん通り」。作者の長谷川町子さんが終戦前後に百道に住んでおられて(もちろんシーサイドももちはまだありません!)、百道の海岸を歩きながら想を練って生まれたのが「サザエさん」という故事にちなんだ由緒あるネーミングです。サザエさんの登場人物がみんな海にちなんでいるのは、ここで考えたアイデアだからなんですね。

「サザエさん」は長らく朝日新聞の連載として親しまれましたが(若い人はそれも知らないか…)、スタート時は福岡ベースの西日本新聞系の夕刊フクニチでの連載でした。まもなく長谷川一家は上京することになり、「連載まるごと引っ越す」という荒業をやってのけます(夕刊フクニチと朝日新聞の間にもう1紙別の新聞でやっていた時期もあるようです)。この案内板のサザエさんは、スタート時の古いタッチに合わせてありますね。サザエさんの顔が少し違います。

サザエさん通りがつながる地下鉄西新駅(にしじん、と読みます)の地下通路にあった看板は、連載後期~アニメのサザエさん一家になっています。

福岡の「サザエさん通り」を発見して驚いたのは、「あれ!ここにもある!」でした。長谷川町子さんが東京での拠点とした世田谷区用賀の隣町・桜新町には長谷川町子美術館・記念館があり、駅からの通りがやはり「サザエさん通り」と名づけられているのです。東京世田谷の「サザエさん通り」は1985年に、福岡百道の「サザエさん通り」は2012年に命名されたとあるので居住歴とは順番が逆です。wikiによれば、福岡でこの命名をした時には、世田谷区桜新町商店街振興組合の承諾を得たとのことです。

2つの故郷で「通りに名前がつく」というのは、やはり国民的コンテンツとしての力強さを物語るエピソードではあります。長谷川町子さんは三姉妹で、出版社の名前(現在は解散)は「姉妹社」でしたが、お姉さんが営業に走り回り、本人はマンガ描きに専念し、妹さんが内側の事務を受け持ち、時代の荒波を乗り越えてきたとのこと。東京の長谷川町子記念館では、そのバックボーンを伺い知ることができます。

そして「物語のある町」というのはいいな(とくにニュータウンにとって!)、としみじみ感じたことでした。

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